2章・今の仕事にたどり着くまで

整体院ボディーケア松本の

「整体」以外担当松本圭太です。



※今日の内容は爽やかさとか

 かわいらしさが全く無い内容です。

 せめて使用する写真だけは

 かわいいイメージ写真にします(笑)



超若手漫才師として

「さぁ、これからだ」という時に


相方である兄が

足、腰の痛みとしびれで動けなくなってしまいました。


僕も最初のうちは

そんなに大したことはないだろうと思っていました。


しかし、予想に反して事態は深刻でした。

(のちに坐骨神経痛と判明)


結局、兄はまともに歩けず、

ネタ合わせをするといってもベッドで

横たわったまま・・・。


この調子では舞台には立てない。


それまでは毎日1時間だけでも

時間を合わせて練習をしていたのが


次第に練習をしない日も増えてきた。


元々入っていた仕事は無理やりこなし

それ以上の仕事を入れることは出来なかった。


僕は一人で、

自分が出るはずだった

舞台を見に行っては

ライバルたちの活躍を見て


「大事な時期に何をしているんだ」

と兄に腹立たしさを感じることもあった。



しかし、兄はもっと不安だった。


この時は、明らかにコミュニケーション不足。


あとあと聞けば、

よくよく考えれば、

当事者である兄のほうが

辛いに決まっていた。


兄いわく、


自分の体が自分のモノではない感覚

いつ治るか分からない・・・、

いや、一生このままかも、

という絶望感。


車いす生活も覚悟しなければならないのか。


とまで思い詰めていたそうです。


精神的にもお笑いをやるような状態でなく


ピンピン元気で

イライラしているような僕に会うのも

嫌だったろうと思う。


僕自身も一人で舞台に立つ度胸もなく

あぁ、一人じゃ何にもできないな、と

悶々としていた。

兄は結局、体を痛めてから

様々な病院や治療院を巡ったようです。


それでも

1年経ってもよくならず


あるとき

父親が調べた「整体」を

受けたことで身体の変化を感じたといいます。


あんなに苦しかった痛みや不安から解放された。


その時の嬉しさや感動や興奮は

きっと経験した者にしか分からないでしょう。

(このあたりは別の機会に

 本人にインタビューして

 掘り下げてみたいと思います)



体が治ったと報告を受けた時、

兄に言われました。


「お笑いで迷惑はかけないから

 整体の学校に通いたい」と。


僕は正直戸惑いました。


口では「分かった」と言ったものの

心では(絶対、迷惑かかるって・・・)

と思ってました(笑)


兄にとってはいろんな思いがあったと思います。


お笑いもあきらめたくない

整体もしたい

どっちかでうまくいけばいいな


結局、予想したとおり

すぐに兄は今まで以上に忙しくなり、


とてもどちらも平等に力を

入れることは出来なくなっていました。


答えのないお笑いに比べ

ある程度答え(?)があって、

反応が得られる整体は

兄にとって本当に面白かったんだと思います。

(嫌味じゃなくて)


元来、兄は人を喜ばせることが好きです。


苦しみを経験した直後の兄が

そちらに夢中になるのも自然の流れでした。


こんな感じで僕と兄とは

だんだんと距離が空いていきました。


心の距離が空いたとでも言うのか。


僕のほうから声を掛けなければ

練習もしない、オーディションもコンテストも出ない。


声を掛けてもその日はムリ、が続き。

いつしか、僕も声を掛けなくなっていました。


心の中ではぐじぐじと

上手くいかないのを人のせいにばかりしていました。


自分の去就を人に任せて

自分で決断から逃げてたんだと思います。


この時期の感情は


どちら側に立つかでだいぶ印象が変わると思います。


いちど、兄目線でも

この時代の振り返りをしてみたいですね(笑)



そしたら、ある日、

母親経由で兄が整体院をオープンすると聞きました。



僕は素直に祝福できませんでした。


僕に相談や報告がなかったこと

もうお笑いは辞めるつもりなんだという確信


逆に

「お笑いで迷惑かけないから」

なんて言わずに

「お笑いを辞めて整体の道に進む」

と言ってくれれば応援も祝福もできたのに。



ほんとにね、いま振り返ると

なんて小さいことにこだわってんだって感じですね。


まぁ、でも当時は

それしかないと思ってやってたから


なんか許せなかったんでしょう


許してください。




まぁ、そこからは

兄は兄でお笑いの時以上の

すさまじい努力で整体の世界に

くい込んでいきました。


悔しい思いも、嬉しい思いも、

悲しい思いも、楽しい思いも、

いろんなことがあったようです。


これはまた兄目線で書いたほうが面白いでしょう。


僕は僕で

時間の融通が利くという理由で

派遣社員として働いていた会社から

直接引き抜かれ(一応円満に。笑)

大手メーカーで家電修理受付窓口の

責任者として働く事となりました。


お笑いをフェードアウトした

心残りを持ちながら

自分でも気づかなかった

意外な才能(お詫び)を

ここで発揮できるのです。


こうしてまったく別の道を歩き


お互いに何をしているかは

親から聞く、という状況が続きます。


自転車で15分の距離に住んでるのに

会うのは年に数回、島根の実家で(笑)


こうしてお笑いの活動は止まったんですが


他のコンビと違うことがあります。


それは、兄弟だから

解散って言葉は使ったことないんですよ。



さぁ、この段階で

僕はボディーケア松本に

良い印象を持っていない

ちっぽけな人間です(笑)


このあと、何があって

ボディーケア松本に入るのか?


なにかきっかけがあったのか?


まさか?復讐??

え??

そっちの展開の方がおもしろいか??(笑)


も少し、つづく。


Keita Matsumoto

松本圭太です。 ご訪問ありがとうございます。 実体験を元に【クレーム】【プロレス】【息子】のことを綴っています。

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